里見紗李奈【バドミントン】の経歴と学歴!両親や兄弟・家族は?

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東京パラリンピック2020大会が、いよいよ開催されますね!

厳しい出場条件をクリアした選手たちのプロフィールが気になるところです。

そこで今回は、バドミントン・里見紗李奈選手の経歴と学歴(出身高校・大学)、両親や兄弟・家族などを見ていきたいと思います。

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里見紗李奈のプロフィールと経歴

 

名前:里見 紗李奈 

生年月日:1998年4月9日

年齢:23歳

出身地:千葉県千葉市

所属:NTT都市開発

出場種目:バドミントン女子ダブルス

 

里見紗李奈選手は、千葉県千葉市生まれの23歳

里見選手は、高校3年生だった2016年に交通事故で脊髄を損傷し、両下肢に障がいが残ってしまいました。

翌2017年に、中学時代にバドミントン部に所属していたこともあり、父親のすすめでパラバドミントンの日本代表選手が主宰するクラブを訪ね、車いすのバドミントンを体験します。

打ち合いが楽しかったことから、最初は趣味として始めたそうです。

そして、仲間とともに各地の体育館を転々としてバドミントンに親しんでいるうちに、自然の流れで大会にエントリーすることに。

 

2017年8月のデビュー戦で、シングルス3位となり、さらに同年12月の日本選手権では、なんとシングルス準優勝という実績を残します。

初めての海外遠征では、ダブルスで日本のエース・山崎悠麻選手と組むことになり、東京2020パラリンピックのメダル獲得を見据えて意識も変化していったそうです。

2019年のパラバトミントン世界選手権では、シングルスで初優勝するという快挙を成し遂げています。

東京パラリンピックの金メダルも、狙える位置にあるようですね!

 

里見紗李奈の主な戦績

里見紗李奈選手は、多くの競技大会で素晴らしい成績を収めています。

2019:タイ国際(タイ)・女子シングルス(WH1) 1位

2019:アイルランド国際(アイルランド)・女子シングルス(WH1) 1位・女子ダブルス(WH1-2) 1位

2019:パラバトミントン世界選手権(スイス)・女子シングルス(WH1) 1位・女子ダブルス(WH1-2) 3位

2019:中国国際(中国)・女子シングルス(WH1) 2位

2019:ジャパン国際(東京)・女子シングルス(WH1) 3位
女子ダブルス(WH1-2) 1位

(引用:パラサポWEB)

 

里見紗李奈の学歴(出身中学・高校・大学)

里見紗李奈選手の出身校につきましての情報は少なかったのですが、出身高校については、千葉県立千城台高等学校です。

千城台高等学校は、千葉県千葉市若葉区千城台西二丁目にある公立の共学校です。

自由でおおらかな校風であり、文化祭の全校フォークダンスを伝統としています。

里見選手は、中学時代はバドミントン部に所属していましたが、本人が言うには、ちゃんとはしていなかったそうです。

 

里見紗李奈の家族(父親・母親・兄弟)

里見紗李奈選手の家族構成は、父親・母親・2人の兄・本人の5人家族です。

里見紗李奈の父親

里見紗李奈選手のお父さんは、里見敦さんと言い、職業や年齢などは公開されていません。

里見選手が車いすバドミントンを始めるきっかけは、お父さんが作ったそうです。

事故により、沈みがちだった里見選手を見てお父さんは、何か夢中になれるものがあればと思い、千葉の車いすバドミントンチーム「パシフィック」の練習に参加知ることを勧めたそうです。

始めは乗り気でなかった里見選手も、バドミントンをやっていた経験から、すぐに夢中になったそうです。

 

里見紗李奈の母親

里見紗李奈選手のお母さんは、里見比奈子さんと言い、美容師として働いています。

里見選手の成人式にはお母さんがメイキャップをしたそうです。

里見選手の事故を知った時お母さんは、その場に座り込んでしまうほどのショックを受けたそうです。

しかし、入院先の病院へは毎日お見舞いに行き、足をマッサージしたり、買い物をするなど、一生懸命里見選手を支えていたようです。

 

両親からの贈り物

里見紗李奈選手は、オシャレが大好きな23歳で、一番のこだわりはアクセサリーだという。

 

里見紗李奈の兄

里見紗李奈選手の2人のお兄さんについては、公開されておらず情報があまりありませんでした。

しかし、里見選手が車いすバドミントンを始めたときに、2人の兄が練習相手になってくれたと話しています。

素敵な兄妹愛ですね!

 

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里見紗李奈のまとめ

今回は、バドミントン・里見紗李奈選手の経歴と学歴(出身高校・大学)、両親や兄弟・家族などを見てきました。

里見紗李奈選手は、高校3年生だった時に交通事故で脊髄を損傷し、両下肢に障がいが残ってしまったんですね。

しかし、父親の勧めで車いすバドミントンをはじめ、メキメキと腕を上げ、世界選手権のシングルスで優勝するというところまで上り詰めたんですね。

自身の努力はもちろんですが、両親や兄たちの温かい応援や、支援などがあって現在となっていますね。

東京パラリンピックでも、思う存分実力を発揮してもらいたいですね!!