東京パラリンピック2020大会が、いよいよ開催されますね!
厳しい出場条件をクリアした選手たちのプロフィールが気になるところです。
そこで今回は、車いすバスケ・鳥海連志選手の経歴や家族・彼女・結婚、ストイックなインスタ画像などを見ていきたいと思います。
鳥海連志のプロフィール・経歴・読み方は
名前:鳥海連志(ちょうかい れんし)
生年月日:1999年2月2日
出身地:長崎県長崎市
所属:WOWOW
出場種目:車いすバスケットボール男子
名前の由来・読み方は
鳥海連志選手は「連志(れんし)」と読み、名前の由来は、「高い志を持ち続けるように」と願いを込めて名付けられたそうです。
その名の通り、車いすバスケの日本代表になりましたね!!
5歳で腹筋が割れた
鳥海選手は、生まれた時から先天的にすねの骨が無く、両足が内側に曲がっていました。
3歳の時には、両下肢を切断しています。
右手は4本、左手は2本の指しかありません。
でも、小さい頃から体を動かすのが大好きで、5歳の時には腹筋が割れていたという。
どれだけ体を動かしてたのでしょうね~
競技を始めたきっかけ
鳥海連志選手が競技を初めたのは、中学校の女子バスケットボール部監督の先生からの誘いがきっかけとなったそうです。
小学校ではサッカー、中学ではテニスをやっていたそうですが、父・母や兄もバスケをやっていた中で、車いすバスケットボールにドハマリしたという。
初めての練習で、先輩のスピードやシュートの正確性についていけないことが悔して、負けず嫌いの性格もあり、のめり込んでいったそうです。
食事で筋量を伸ばした!
鳥海選手は、食事量で筋量を伸ばしていったという。
大学進学後に一人暮らしを始めたため、食事の質や量にこだわったそうです。
お腹がいっぱいな状態を100パーセントとして、そこから10パーセント増量して、食べるようにしたそうです。
その結果、筋量で5kg増えたという。
車いすバスケでは、海外選手に比べ体重が軽いとすぐに吹っ飛ばされることが多かったそうですが、当たり負けしなくなったそうです。
主な戦績・成績は
鳥海連志選手の主な成績は、次のとおりです。
2015年には、三菱電機2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ千葉で3位
2017年のIWBFアジアオセアニアチャンピオンシップスで、3位
2018年のインドネシア2018アジアパラ競技大会は3位
2019年のIWBFアジアオセアニアチャンピオンシップスでは4位
2016年のリオパラリンピックでは、9位の成績を収めています。
鳥海連志の出身校(小学校・中学・高校・大学)
鳥海連志選手の出身小学校は、長崎市の南陽小学校・6年時には父の単身赴任のため、西海市の大島東小学校に転向しています。
出身中学校は、大島東中学校です。
出身高校は、西海市の明誠高校・日本代表の合宿により、同じ市内の大崎高等学校へ転向しています。
そして大学は、日本体育大学です。
しかし、2019年に社会人となっているため、中退したのではと推測されます。
現在はWOWOWに所属しています。
鳥海連志の家族(両親・兄弟)
鳥海連志選手の家族は、父親の隆一さん・母親の由理江さん・兄の大樹さん・10歳違いの妹さんの5人家族です。
父や母・兄もバスケットボール関係者
ご家族は全員がバスケットボール何らかにかかわっており、鳥海選手のサポート体制は万全だったようです。
父は元バスケットボールの選手
母はマネージャー
兄もバスケットボール選手
妹は、バスケケットボールの練習を手伝う
仲の良いご家族ですね!!
鳥海連志の結婚・彼女は
鳥海連志選手の結婚や彼女の情報については、調べて見ましたが、ありませんでした。
イケメンで爽やかな印象がある鳥海選手ですから、彼女がいてもおかしくないですね!
今後は新しい情報が入り次第、追記していきたいと思います。
鳥海連志のインスタ画像
この投稿をInstagramで見る
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鳥海連志選手のカッコよさや、ストイックさがよくわかりますね~
鳥海連志の経歴まとめ
今回は、車いすバスケ・鳥海連志選手の経歴や家族・彼女・結婚、ストイックなインスタ画像などを見てきました。
鳥海連志選手は、生まれつき両手足に障がいがあり、両下肢を切断しましたが、中学生の時に車いすバスケに出会い、努力で多くの大会に素晴らしい記録を残してきました。
東京パラリンピックでも、ぜひ実力を発揮してもらいたいですね!