政治や経済、宇宙や医療など多岐にわたるテーマで多数のベストセラーを発表し、「知の巨人」として知られるジャーナリストで評論家の立花隆さん。
今回は、立花隆さんの現在の画像や経歴、妻(嫁)や子供について、死因などについて見ていきたいと思います。
立花隆の経歴と現在の画像
プロフィールや生い立ち
政治や経済、宇宙や医療など多岐にわたるテーマで多数のベストセラーを発表し、「#知の巨人」として知られるジャーナリストで評論家の #立花隆 さんが亡くなりました。
在りし日を写真特集でhttps://t.co/6etCrnbExb pic.twitter.com/oEjhRwIGri— 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto) June 22, 2021
本 名:橘 隆志
生年月日:1940年5月28日(2021年80歳で没)
出 身 地:長崎県
職 業: ジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家
立花隆さんは、長崎県長崎市で生まれ、父は長崎の女学校教師で後に編集者を務め、母は羽仁もと子の信奉者で、クリスチャンの家庭で育ったそうです。
1942年(昭和17年)、父が文部省職員として北京の師範学校副校長となったため、一家で中華民国へ渡っています。
1946年、引き揚げで日本へ戻り、茨城師範学校(茨城大学)附属小学校、中学校を経て、1956年に水戸一高に進学、その後、東京都立上野高等学校へ転入する。
立花隆の小中学校時代
立花隆さんは、小学校時代から読書に熱中し、自らの読書遍歴を記した文章も残しているそうです。
中学時代は陸上競技にも熱中し、俳優の梅宮辰夫さんやモータージャーナリストの徳大寺有恒さんは、中学時代の先輩であり、三人とも陸上競技選手だったという。
ジャーナリストというイメージが強かったためでしょうか、中学校時代に陸上をやっていたとは意外でしたね~
大学は、東京大学文科二類へ入学し、在学中は小説や詩を書き、イギリスで開かれた原水爆禁止世界会議にも参加したという。
卒業論文はフランスの哲学者メーヌ・ド・ビランだそうです。
雑誌記者やルポライター時代
立花隆さんは、東京大学フランス文学科卒業後、文藝春秋に入社します。
入社後は希望通りの『週刊文春』に配属されましたが、もっともやりたくないプロ野球の取材をさせられたことから、2年後に退職しています。
配属は、希望どおりでしたのに、残念でしたね~
東京大学休校中に、文春時代の仲間の誘いで文筆活動に入りルポライターとして活動を開始します。
創刊時の雑誌『諸君!』に「生物学革命」、「宇宙船地球号」、「石油」などをテーマとしてノンフィクションや評論を書きます。
『諸君!』は有名な雑誌でしたね~
田中角栄の研究
立花隆さんは、田中角栄の研究としても知られ、田中金脈問題として大きな反響を呼び、田中角栄首相退陣のきっかけを作ったとされています。
立花隆の家族・妻や子供は
立花隆さんの奥さんは、立花さんが著作で離婚したことを記しています。
別れた奥さんは、翻訳家の橘雅子さんで、すでに2000年にがんにより他界しています。
立花隆さんと奥さんの雅子さんの結婚生活は5年ほどでしたが、男児をもうけています。
お子さんは、雅子さが一人で育てていたようです。
その後再婚したという話はないようです。
立花隆の死因は急性冠症候群
「#がん生と死の謎に挑む ー #立花隆」評価5
2009年にNHKで放送されたNHKスペシャル「立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」と一体をなす形で作られた本。がんとは何か?がん治療の実態に迫り、自らの膀胱がん手術の過程も明らかにした立花隆渾身の一冊! pic.twitter.com/TRKDvFZQrJ— 続・白堊スポーツ (@taira19560530) November 21, 2020
立花隆さんは、自らもがんを患いながら、がん治療について患者側に立つジャーナリストとして活動していました。
2009年11月23日のNHKスペシャルでも「立花隆 思索ドキュメント がん 生と死の謎に挑む」で放送されています。
立花さんは、がん疾患のほかに、心臓手術なども行っていました。
死因は、急性冠症候群だったようです。
急性冠症候群は、冠動脈が突然ふさがり、心筋の一部への血液供給が大きく減少または遮断されることで起こります。
みんなの声は

ショックです。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
今まで本当にありがとうございます。
これからも作品は読ませていただきます。

立花隆さんのような権力に媚びない学者が亡くなられたのは残念です。
お悔やみ申し上げます。

この人の本は面白かったなぁ。
もっと評価されても良い人だった。
後年はあまり目立った言動も無かったのは残念です。

ジブリアニメの「耳をすませば」で雫のお父さん役でも活躍されていましたね。
謹んでご冥福をお祈り致します。
多くの方が立花隆さんを偲んでいますね。
「田中角栄研究」で、立花さんの取材や調査力は、並々ならぬものだったでしょうね。
永い間お疲れさまでした。